自分の気持ちがわからない
この状態に気づいてから
どうすれば変われるのか
何でそうなってしまったのか
考えても、考えても
気が済む答えはなかなか見つからないもの。
この「わからない感」の渦中
私は怖く感じていました。
自分の意見を持つときの
まるで
誰かに急かされているかのような焦り
間違ったことを言ったら
取り返しがつかないような漠然とした怖さ・・・。
冷静になるとおかしな話です。
頭ではわかってる。
しかし、その当時私は
内面で起きる心の反応さえ
「こう思ってるけど、いいのかな···」と
外側にお伺いを立てていたのです。
- 実際にそうなのか
- 確証や証明はあるか
- 疑いの目に正しく反論できるか など
無自覚に、そして、当たり前のように
染みついていた思考癖。
これらが減った理由は
自分は○○と思う。
ただ、そう思う。
この「内面の事実」を
自分だけのスペースとして認識を改め
自分に主導権がある感覚を取り戻したからです。
「安心していい感」の枯渇
こんな感覚、ありませんか?
思ってることを「安心して思えない」
言いたいことを「安心して言えない」
感じたことを「安心して信じれない」
こんなふうに
「安心していい感」が枯渇してると
自分の気持ちが分からなくなってしまうんだよね。
不安になったり怖がったりすることを
よくないって言ってる訳じゃないんです。
例えば
自分をさらけ出すこと、初めてやること、
怖くたっていい。怖がればいい。
人目を気にするのだって
ごく自然なこと。気にしたっていい。
だけど、
その怖さや気の配り方が、
自分でも気づかないうちに
極度の怯えとなって
気づいた頃には
もうキャパオーバーになってしまいがち。
(私もそうでした)
体の震え、心拍数、姿勢、動き
全部に影響しています。
にもかかわらず
それが「普通」になってる。
元気だし、支障もない。
毎日毎日、「毎日」に運ばれて
進まなきゃ、進めてるかな、
まだ届かない、まだ足りない、、、
「これでいいはずがない」の世界を生きて
たまに絶望して
その反動で取り戻す、みたいな。
きっと
これを読んでくれてる人の中にも
似たような感覚の人
結構いるんじゃないかなって思う。
非を探すと自己批判になる
私自身の体験談でもあり
同じ悩みを抱えている多くの方に共通する
内観のポイントをシェアします。
「自分の気持ちがわからない自分」は
- 意志がない
- 変わる覚悟がない
- 完璧主義で気にしすぎ
という解釈によって、根本解決を遅らせた。
自分の状態を反省して
克服したい思いは大事だけど
心に余裕がない状態で非を探すと、
結局は自己批判的になり
むしろ自分との繋がりが薄れてしまうんだよね。
だから、数えきれない程
自分の状態をひたすら把握して
なるほどなーって納得して
傷や痛みを、痛いと認め、
ケアをして「鈍化」が和らぎ
小さな歩幅の「気づき」を重ねることで変わりました。
「積み重ね」だから
「ジャーン」て感じでなく
「そういえば、そうだな」みたいな。
自分の気持ちに敏感になることは
案外、普通に変わりました。
安心の感覚は今も育ち続けてます。
「わからない感」から抜け出すには
自分の気持ちを
【探す内観】でなく、【至る内観】
をしませんか?
心の中の何が問題で、何が本音かを
一生懸命探すのではなく
違和感や不安感、「わからなさ」や枯渇感など
今感じている辛さ、すでに把握しているこの感覚の細部に
沢山の思いが詰まっているんです。
クライアントさんとセッションする際には
もっと具体的に、どこに注目するのか
わかりやすく把握しながら
丁寧に観察したり、細かく分解したり
時には、体の感覚にも耳を澄ませたり・・・・
お一人お一人の状況に合わせて内観を深めます。
するとー
まずは、
思ってることを
「思ってる」と言えるようになります。
思ってることを、
自分自身のなかで安心して思える。
「思っていい」この実感をしよう。
小さなことだけど、大きな意味のある一歩です。
「思っていい」という安心感の元で
内観を深めるからこそ
結果的に自分の気持ちがわかる。
自分との繋がりを感じる。
これが、リアルな体感となっていきます。
そんな体感や気づきを深めていきたい方へ
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