この記事はこんな人にオススメ
願い
●生きづらさを消化して自分「らしく」生きたい
●もう過去の自分に戻りたくない、変わりたい
●ずっと気になってた悩みと向き合って、心の決着をつけたい
●心が整わないと行動だけ変えても根本解決にならない気がする
●気づきかけた心のモヤモヤを消化したら変われそうな気がする
●心のブレーキを抜けば「らしさ」をオープンに出来るはず
内観してみたら
●もっと自分に優しくしても良いことが分かった
●どんな気持ちがあってもOKだと腑に落ちた
●以前よりはラクになった
でも・・・
●心の奥を見ようとすると気持ちが重くなる
●知りたくないものが出てきたらどうしよう
●落ち込むことになるなら内観したくない
ほんとに変わりたいのに、どうしていいかわからない・・・
内観していると途中で不安や恐れがわいてくることがあります。その不安や恐れを乗り越えるには知る痛みに対しての温かい理解と寄り添い、目をそらさず向き合う勇気が必要になってきます。
この記事は「知る痛み」の例や心の動きをご紹介しています。自分と向き合って戸惑いが起こるとき、ご自身への寄り添いのヒントとなれば嬉しいです。
心の奥にしまい込んだ感情に触れる恐れ
私達は、触れたくない感情を心の奥にとどめていることがあります。感じたくない感情があふれ出ないように蓋をしている状態です。よくあるパターンとして典型的な例をご紹介しますね。
【例】
幼少期
厳しい親(主に母親)に育てられた
両親が不仲、夫婦ケンカを見て育った
子ども時代の心理状態
イイ子でいないと怒られる
気を遣ってないと地雷を踏む
機嫌取らないと優しくされない
自分を出すと馬鹿にされる
従わないと悲しませる
大人になってから
表向きはいい子、内面は常にソワソワ・モヤモヤ・イライラ
本当の自分を閉ざしているような違和感
場面を変えて同じ悩みを繰り返してる
他者評価への依存
失敗を極端に恐れる
内観すると
蓋した感情「本当は~~」に気づく
閉じ込めてた「欲求」に気づく
閉じ込めてた「反発・抵抗」に気づく
閉じ込めていた「怒り・憎悪」に気づく
知る不安がわく
閉じ込めていた感情を実感する不安・罪悪感・恐れがわく
知る(観る)ブレーキをかける
閉じ込めていたものに近づくのを中断し、悲しみ・哀れみ・失望・諦め・苛立ち、唐突なポジティブ思考などがわく
実際には、ここまで単純に進むわけではないですが、セッション中の会話でこのような心の動きが瞬時に起きる。これは本当によくあるパターンです。
どの感情が本物か、偽物か、という意味ではありません。心は多面的でそれぞれの役割を果たしているのです。
心を軽くするには
もしセッション中にこうした不安やブレーキがわいても、わくこと自体は問題ありません。自分で意図しているわけではなく自然と出た反応です。
知る不安や、ブレーキは、蓋した感情が消化する準備が進んでるサインでもあります。でも、そこでストップしたら元に戻ってしまいます。
心を軽くするには
●蓋してることを否定せず、蓋の役割を理解する
●蓋した未消化感情が消化or癒える
●蓋を閉じたり開いたり自由にできる安心感を得る
ここが大事。
自分を知る中で「知る痛み」を完全に避けることは出来ません。触れたくない感情に近づいたときにやんわり避けて蓋を強化するのではなく、「知る不安」「観るブレーキ」さえも仲間のように耳を傾けましょう。
その上で、あんばいよく「知れる体験」「観れる体験」をする必要があります。
予備知識が不安を軽くする
こうして、あらかじめ「知る不安がわくことがある」と予備知識があると、不安の重さに襲われにくいです。なぜなら「あ、今、知る不安出てきたゾ」と心の反応をキャッチできるから。セッション中はセラピストと一緒にその不安をキャッチして消化プロセスに移行します。
同様に、「内観する意欲があっても向き合う恐れ、観るブレーキってかかることがあるんだな」と予備知識があると「あ、今、意識そらそうとしたくなってるゾ」と気づける。自分で無意識に踏んだブレーキに気づけると「気づく面白さ」に変わることさえあります。
自分自身と向き合うことから逃げることなく、自分の力で自分を変えていける実感が心の安心軸を太くしてくれます。
蓋をこじ開けるより、足場を固めるのが大事
蓋した感情が巨大化している場合は、やみくもに蓋を開けなくてOK。蓋をしている感覚を丁寧に実感したり、安全な感覚を実感するほうが大事。
セッション中、色んな角度から足場を固めるように進みますが、セラピストに施しを受けるような受け身な意識ではなく、セラピストに手伝ってもらって自分自身が自分を温めてあげたいんだ、という心づもりでいることが大切です。
セッションでは、安心の感覚、安全の感覚、理解して納得できる感覚を実感する様々なワーク、おしゃべり、知的な探求など、内容はその時によって異なります。その中で、自然と蓋が開き、蓋の中身も温かく溶けていく感じです。
しかし、蓋を開いたはいいけど苦しみだけが溢れてしまう場合も。それは、複数の感情・信じこみ・バイアスが絡み合って複雑化しているからかもしれません。釣り糸をほどくように、一歩一歩進むと本当に癒したかった部分のケア、癒しが始まります。
「諦め」で自分を支えるしかなかった
感情に蓋をして、禁じた感情を恐れている人は心の奥に傷を負っていることと思います。それでも敢えて「内観」を選んでるわけですから、真面目で、内省意識があり、前向きな人なのだと思います。
そんな前向きなあなたの心の奥深い場所、その片隅に、もしかすると強い「諦める意思」があるかもしれません。心当たりはありますか?
「欲しがっても無駄だ」「諦めてないと苦しい」「信じてるけど、信じられない」「これ以上ガッカリしたくない」そんな感覚、ありませんか?
この諦めは過去のエピソードと紐づいて「いつも諦めるしかなかった」という気持ちがわく人もいれば、現在の状況と紐づいて「だって諦めるしかないじゃん」となる人もいるかもしれません。
心当たりがある人は、声に出して読んでみてください。
「私は心の中に諦めてる感覚がある」
ただ言うだけなのに、怖いかもしれません。自分の中に諦めが根付いているなんて認めたくない。認めるのが怖い。でも、ある感覚を「ある」と認めることは、消化の第一歩。諦める道を選択するためではありません。諦めるしかなかった足跡をわかってあげるためです。
もちろん、諦めるしかないことってあります。切ない現実を受け入れる痛みも事実として存在します。でも、ここでお伝えしたいのは、願いが叶うか叶わないかの物理的な現象の話ではありません。
- 冷たく寂しい感覚、心を閉ざす諦め
- 冷たさ・寂しさ・痛みも含めて、どんな形であろうと温もりを知っている諦め
「諦め」言葉は同じでも、言葉の景色はまるで違います。
過去の自分は傷を負った立場ですが、今これを読んでいるあなたはその傷に優しく毛布を掛けてあげることもできるし、温もりを与えてあげられる立場の自分です。気づいてなかった声に気づいてあげるからこそ、癒していけます。
一歩一歩、温かく進みましょう🍀