愛されたいと願う一方で、実際に愛されることが苦痛に感じる人。
愛されているにもかかわらず、喜ぶことに罪悪感を抱いてしまう人。
そんな矛盾や葛藤を抱く「愛され恐怖症」についての理解と「克服へのステップ」をご紹介します。
※記事の内容が全ての人に当てはまるわけではありません。細かい心理状況はお一人お一人異なります。
※愛され恐怖症という病名ではありません
愛され恐怖症の典型的なパターン
細かい部分は人それぞれ異なります。自分の場合はどんな心理状態か内観してみてくださいね。
例
- 他人との関係が深まると、遠ざけたくなる
- 不安で心が開けず壁をつくってします
- 自分は愛されるに値しないと思って、優しくされても受け入れ難い。罪悪感が湧く場合も。
- 自分をどの程度大事に思っているか疑う。相手を試して確認行為をしたくなる。
- 関係が深まる喜びと、失う恐怖が交錯する
「愛される=苦しい」という感覚を記憶してる
愛される恐怖は恋愛に限りません。他者から優しくされたり愛を向けられることが苦痛に感じるのは、過去の経験やトラウマから生まれた前提・連想が影響していることがあります。
例
- 親しくなれば依存・干渉・束縛・強要され自由を失う不安がわく。
- 他人の期待に応えられない無力感、不安、悲しみがわく。
- 重い責任を背負うような感覚になる。
- 他者との競争や嫉妬に巻き込まれることへの不安・連想がわく。
- 幸せになってはいけないような罪悪感に襲われる。 など
愛され恐怖の克服ステップ
まずは愛され恐怖を抱く自分を責めないこと。そして、その恐怖感を向き合いやすい大きさに細分化して緊張の正体を自己理解して癒す必要もあるよね。もちろん、不安・怖さ・抵抗感を少しずつゆるめる体感的な取り組みをしましょう。
実際には不安のニュアンスも、怖くなるスイッチも人によって様々。内観サポートをしていると、同じような悩みを抱えていても、心で感じていることを言葉にしてみると、言葉の景色は人によって全く違います。だから、具体的な内観アプローチはブログには書ききれません。しかし
愛されたいのに愛されるのが苦しい人の大まかな克服ステップは
何に困っているか自己理解を深める
↓
悩みの根本を癒す
×
愛される喜びを取り戻す
↓
愛を受けとる勇気を使う
↓
愛したい自分を生きる
こんな流れが多い気がします。
私達は愛する程に失う悲しみも付きまとうわけで、言い方を変えれば、愛するって痛みを伴うものでもありますよね。愛されたい相手ほど自分も愛してる。が故に痛い。それでも愛してしまう。愛されたいと願ってしまう。そういう生き物なんだと思うんです。
その不安や恐怖の度合いが喜びを上回り好きちゃってる状態が、愛され恐怖症だったりします。
だから、愛を受け取れたとしても「もう二度と不安にならない自分」になろうという大きな目標じゃなくてOK。
愛されること、好意を向けられることに許可を出せる心の基盤を構築しながら「やっぱり苦しくなるな」「やっぱり不安だな」と思ったときには「あ、これは過去の反応パターンが出ているな」と気づけるようになりましょう。無理に癖なふりをするんじゃなくて、あるがままのコワバリと温かく向き合って少しずつ本来の感覚を取り戻しましょう。
温かい内観ができるようになると、自然と自分を安心へと導けるようになり、苦しくなる度合いも回数も減ってゆきます。この心のバネを育ててながら、安心して愛を受けとる土台もさらに育っていきます。
愛され恐怖を内観をしたご感想
【30代の方/不安、自信がない】
大前提として「本当の自分は嫌われるに決まってる」と心底思い込んでいました。
今までは相手か自分、どちらかを否定して苦しかったし、奇麗ごとを自分に言い聞かせて本音を引っ込めてました。これほど「丁寧な内観」をしたからこそ、本当の一番大事な「私の想い」にたどり着いたのだと思います。心の底から納得と安心と感謝しかありません。この想いを活かすために山ほどできることがあります。この気持ちに気づけて本当に良かったです。
【40代の方/遠ざける傾向・繋がりを失う恐れ】
自分の好意や想いを踏みにじられた悲しみや恥ずかしさ、この感情が辛過ぎて手放すどころか認めることが出来なかった。心の仕組みを学び始めて少しずつ自分の中にある痛みが徐々に癒され始めたました。
自分を出すのが怖いし、褒められても絶対信用しない(できるわけない!)。でも本当は認めてほしいし寂しい・・・このループをどれ程繰り返してきたことか。本当に自分が嫌でした。
今は自分らしさを許し、自分から心を開くチャレンジしたいと思うほど成長しました。練習中だけど、今までとは全然違う自分に驚きます。人の優しさを受け取れるようになってきたので心からの感謝がわいてきます。
link:人に理解されなくて辛い「幸せ恐怖症」・幸せへの抵抗を克服するプロセス