「感じ方」を癒して
愛される怖さを
ほどいていくためにー
゛どうして私は、
誰かに大切にされることが
こんなにも怖いのだろう?”
゛愛を感じるほど
心がザワザワして怖くなる”
この繊細で複雑な心の動きは
愛に惹かれながらも、同時に愛に備えて警戒するような心理状態です。
安心を求め、求めた安心に危険を感じるような二重構造があるため、触れても怖いし離れても辛い自己矛盾に葛藤する人もいます。
※愛され恐怖は恋愛感情とは限りません。
愛される恐怖を減らす
3ポイント
POINT1
怖さを外から見守る視点
「怖さ」の状態を自分自身が把握して、わかってあげることが大切です。
愛され恐怖症の怖さは、「愛されたり好意を抱かれることで傷ついた過去の記憶の影響」により、今も「愛=警戒すべきもの」と反応している状態です。
POINT2
感覚を否定しない
愛され恐怖症の怖さを自分自身で責めなくて大丈夫。これは、理性の問題ではなく、生理反応として「体が怖いと感知する状態」です。
「愛を求める」「安全を求める」どちらも私たちの本能です。しかし、このふたつがぶつかり合って「愛への渇望×脅威との闘い」という心理状況になってしまうことがあります。
POINT3
心の傷と向き合いケアする
愛されることが怖くなる背景に、自覚している辛さだけでなく「無自覚の傷」があるとしたらどうでしょう。内観して、心の中にある「見えない痛み」をわかってあげること、どうしても怖くなってしまう辛さをケアしていくと徐々に感じ方が変化していきます。
愛され恐怖症と向き合う
感じ方
例えば、
「大事にされると距離を置きたくなる。本当は寂しいのに・・・」と感じている場合。感じ方が変化して「大事にされることが心地よい。安心して心地よさを味わえる」となればラクですよね。
でも、実情としては「傷つくことになるかもしれない」「安心していいはずがない」などの怖さが付きまとってしまう。
何を恐れた怖さ?
例えば、「私なんかが愛してもらえるはずがない」という大前提がある場合。愛されるはずがない私に対して、愛情表現をする人が現れたら「怪しい」「本心じゃないはず」と疑いやすくなりますよね。
そこには「これ以上辛さを味わいたくない」「辛くなるくらいなら初めから期待したくない」という痛みや、同時に「本物が欲しい」という純粋で痛んだ願いがあるかもしれません。
ほかにも、
「好意を向けられること自体が気持ち悪くて耐えられない。」という、言葉で言い表しようのない生理的な抵抗感がわく人もいるかもしれません。
もしかすると、心の奥では「私だって愛を感じたいけど」と小さく願っているかもしれません。どんなに小さくても大切な思いです。この思いをもったまま、
まずは「安心して愛を怖がる」「愛を拒絶することに安心できる」ことも回復過程として必要な場合もあります。実際にその行動を人に見せるかどうかではなく、心に安心のスペースを作ることは大きな一歩となります。
2種類の愛され恐怖
苦しくて愛を受け取れない
- 人に親切にされる、好意を抱かれること自体が不快に感じる
- 人に好意を抱く、親しくなりたいと思う自分にブレーキがかかる など
愛を受け取ってると苦しい
- 幸せを感じると、失う不安に潰されそうになる
- 愛されてると感じて感謝がわくと同時に、「私にはそんな資格ない」と感じて苦しい など
前者は「愛されること自体への嫌悪」、後者は「愛される自分への嫌悪」。
どちらも共通して「怖さ」がブレーキとなって愛を感じる喜びや心地よさを安心して味わえない状態です。
愛され恐怖症を手放す
「愛されることは危険じゃない」
「愛されることと危険はイコールではない」
「と思っても大丈夫かもしれない」◀この感覚が生まれる心のケアが大事。
「絶対大丈夫だ!」という言い聞かせよりも、く「そう思っても大丈夫かもしれない」というほんの小さな可能性が心の中に生まれると、言葉以上の安心感があなたの不安をやわらげ、支えになってくれます。
愛されることが怖く感じる「感じ方」を無理やり消そうとしたり、急いで「怖さ」を受け入れようとする必要はありません。
「愛される怖さ」の量がコップからあふれでるほどの量だとしたら、小さじ一杯分位の「感情の水」をすくって見守ってあげるイメージです。
また、心の傷をと向き合うにはセルフの内観だけでは限界があります。場合によっては依存性を高めてしまう不安感をケアするなど「痛みの根元をケア」することも大切です。サポートが必要な場合は、一人で抱えこまずご相談ください。
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