こんなループに陥ること
ありませんか?
根は明るくて前向きなのに
不安が襲ってくると押しつぶされて
なかなか抜け出せない
気にし過ぎる自分に自己嫌悪
なんで私ってこうなんだろう・・・
不安の波に襲われると、まだ起きてないことまで連想して、どうしようもなくなってしまいますよね。
そんなとき、心とどんな付き合い方をしていますか?
感情をコントロールできない自分を責めて苦しくなったり、辛さを抱え込んで孤独を感じやすくなっていませんか?
この記事は、
そんな辛い状態から自分を救いだせるようになった実例・変化までの心理プロセスをご紹介しています。
内容は、
現在内観セラピストとして活動している私の体験談。繊細な自分に振り回され自己嫌悪するなかで、辛さと戦わず「辛い状態を許す体験」によって感情の谷底から自分を救い出せるようになりました。
「ありのままでいい」とか
「自分を許すことが大事」だなんて
もう聞き飽きた。
そんな、もう充分にもがき葛藤した人が、心の動きを束縛することなくラクな状態に自分を導く内観ヒントとなりますように。
【補足】この記事に出てくる「不安」とは、「発作症状」を意味するものではありません。感情の波に関して治療中の方は自己判断の内観をせずに治療者に相談をしたうえでご自身の状態にあわせた向き合い方をしましょう。
不安に押しつぶされる、あの怖さ。
私は随分若い頃、仕事ができなくなり引きこもって毎日寝て過ごした時期があります。
その後、元気になって仕事もプライベートも充実したにも関わらず、内面的には心に空いた穴が埋まらず
「またあの頃に戻ってしまいそう」という強い不安に襲われていました。
あの焦りを経験したことがある人はわかると思うのですが、
「動きたくても動けない」
「何の気力もわかない」
あのしんどさ、日常的に味わう不安とは重さの質感が違いますよね。
身に覚えのある嫌な重たさが近づいて
「やばい。アレがきたかも。」
「またあの状態になったらどうしよう」
と思う瞬間は
とても辛く怖いものでした。
不安は「許し」によって激減した
私の場合は、
不安の波が来るとすぐさま動揺して、怖さのぬけ道を探すかのように思考がざわめき立つ流れがお決まりのパターン。
あるきっかけを境に、不安の波に対して余裕をもって対処できるようになったのです。
そのきっかけとは
無自覚を自覚したこと。
私は気づかないうちに
ネガティブ感情を抑圧し
抑圧を隠すようにプラス思考をして
自己否定の層を重ねていたんです。
無自覚の心理状況に気づいたら
心の動きが変わり
自分を脅かす暗くて重い存在
(=ネガティブ感情・思考)が
敵対し戦う相手ではなくなったのです。
むしろ丁寧に自己対話できる相手となりました。
不安でも消えなかった「可能性の光」
- 不安に押しつぶされる
- 楽観的になれず、感情と思考が膨れ上がる
そんな心の状態を、あなたはどのように解釈していますか?
私は、「普通は乗り越えられることが出来てないんだ」と解釈し
「自分の未熟さで甘ったれてる恥ずかしい状態」だと感じていたんです。
なんで私ってこうなの…と
ひっそりうなだれる。
でもその一方では
本当はこんなはずじゃないのに、と
心の奥にある小さな光を
信じていたかったんです。
変わりたい。このままじゃヤダ。
もっと生き生きとしていたい。
癒しきれてない不安の種を感じるたびに
苦しみのトリガーを癒して
心の奥を納得させたい。
それが自分が望んでいた変化でした。
もし、私と同じように
心の声を置き去りにしている感覚があるときには
ぜひ、その感覚を紙に書き出して
あなたの葛藤に理解を示してあげてくださいね。
自分を救った不安への対処と心理プロセス
以前の私は、湧き上がる不安を「減らす方法」を求めていました。
でも、うまくできなかった。
実は、心のことを学ぶ10年以上前にも
自分で内観ノートをしていた時期がありますが
かえって苦しくなってしまいました。
その後、様々な出会いや実践の中で
私がたどり着いた答えは
「不安は減らそうとしても減らない」
「“苦しくない共存”が不安を減らす」
ということです。
もう少し具体的に解説すると・・・
不安を減らしたいのに減らせなかった頃
- ストレスに強くならなくてはならない
- 刺激の許容範囲を広げなくてはいけない
- 他の人が嫌がらないことは私も嫌がらなくなるべきだ
辛さの体感
感情の動きを見張り、良き方向へ変えようとするのではなく、心理状態に対して優しいまなざしを向けたい気持ち生まれました。
感情が「わく、わかない」は自分でコントロールすることはできない。ただ、わいただけ。仕方がないことだ。
わいた不安や思考に「苦しんでる、この私」の「辛さ」はとても辛いものだ。辛いのだから、辛い。事実を認めていい。ただ辛いのだ。過去に経験したあの辛さに怯えるのは仕方がない。怖くても無理はない。わいた不安・恐怖にどよめいて、必死に出口を探してる状態だ。
責めたくなんかない。我慢すべきなんて思いたくない。ただ、この状態が存在しているのだと寄り添いの姿勢でありたい。これは私の感情だ。扱い方は自分で決められる。この気持ちの理解者でいたい。
心からそんな気持ちが湧き上がってきました。
体感の変化
「戦わなくていい安心」から静かな自信が生まれる
内観して出会った「感じ方の変化」を並べると
自分が自分の心の動きを許す。
↓
心の動きを温かく見れる。
↓
心が静かにうなずく。
ありのままでいい、自分を許すってこういうことなんだな。聞き慣れたフレーズが答え合わせをするかのように腑に落ちました。かつて前向きになれたあらゆる考え方よりも、静かで温かいフィット感がある。
この「自分を救いだせる安心感」は、「このままで大丈夫なんだ」と自信になりました。
私のたどった心理プロセスは、あくまでも個人の一例なので、人それぞれの心の景色があると思います。
あなたの心の景色を温かいまなざしで包んであげてください。その景色がどんな色合いであっても、心に寄り添うあなたは、あなたを責めなくていい。
不安対処の具体的な方法とは
苦しい気持ちを具体的にどうすればいいのか
どんな行動を起こして、
どう考えればいいのか知りたい・・・
そんな気持ちになることありませんか?
内観して心の変容を起こすには
「辛いまま変わらない今の状態(感情の動き、発動感)」と、「辛さを観察して心の動きを把握する意識(内観の視座)」を共存させることが大切です。
でも、辛くて余裕がない時にどんな辛さか観察しようとしても、「とにかく苦しい。ラクになりたい。どうすればいいの、どうしよう」と感情と思考がうごめくだけ。
だから、強い感情に飲み込まれている瞬間だけでなく、何となくモヤモヤ(感情の動き)してるときに、「今モヤモヤしてるな(観察)」と、フラットに心の状態をわかってあげる意識を持つ(内観の視座)の練習が必要です。
といっても、この練習はアクションとしての手ごたえはありません。現実的な出来事を動かそうとはしてない。外向的な取り組みではなく、内向的な取り組みです。
自分を苦しめている感情や、そこから抜け出せない感情のボリュームを理解する静かな練習です。
私にとって内観とは、
どんな感覚も否定せずに感じることで
本来の自分に再会できる
優しい時間です。
さらに具体的な、「感情の動きを観察するやり方」や「感覚をつかむコツ」「気づきにたどり着く体感」は、お一人お一人の心の景色を見ながらの伴走となります。(➡サポート内容はこちら)
まずは自分で内観をはじめてみたい方は、別の記事でご紹介している内容もチェックしてみてください。
内観のやり方、ご案内はこちらです。
ご案内
心と向き合うって、何をどうすればいいの?
➡内観(ノート)のやり方・基本編/心をケアして自分の本質に近づくために
内観の手ごたえが薄い…もっと「深さ」を実感したい
➡内観(ノート)のやり方・効果のコツは質問力
自分を見てしまうと、嫌な感情に触れそうで怖い
➡自分と向き合うのが怖くて内観が止まる。でも、もう変わりたい人へ
言葉にならない部分、自分では手が届かない部分をセラピストに伴走してほしい
➡内観セラピー/スピリチュアルではない視点から自分と向き合う内観プログラム