こんな気持ちがある人にオススメ
- 私の悩みって承認欲求?
- 人の目や評価が過剰に気になる
- どうすれば承認欲求をやめられるの?
承認欲求とは他者から自分の価値を認めてもらいたくなる感情です。私たちは誰もが人に認められたい欲求を持っており、それは生物として備わった機能です。しかし承認欲求という言葉が自他の傲慢さを表すかのような意味合いで使われることも多く、内観サポートをしている中でも「これって承認欲求なのですか?」と自分の気持ちや悩みを未成熟なものとして恥じていたり、正直な気持ちにダメ出しをしているように見受けられることも少なくありません。
この記事は、承認欲求について紐解き、人に認めてほしい・わかって欲しいと願う自分への否定や批判がゆるむヒントとなれば嬉しいです。
承認欲求は2種類ある
承認欲求は、他人から認められたい欲求である他者承認と、自分自身を認めたい欲求である自己承認の2種類があります。子どもの頃は他者承認欲が強く、大人になるにつれ自己承認力を発達させていくと言われています。
アドラー心理学の嫌われない勇気という本が有名ですが、あの本で書かれている承認欲求は他者承認のことで他人の評価を気にするのではなく、自分を認め自分を生き、更には貢献感を満たすことで幸福感が高まるというような内容でしたよね。
このように私たちが普段使い慣れている承認欲求という言葉は他者承認を意味していることが多く、他人に評価を求め過ぎなんじゃないの?というような解釈で使われることが多いと思います。
過剰な他者承認欲を手放すために
出来ることなら過剰な他者承認欲はゆるめて自己承認力=自分で自分を認める力を育てていきたいもの。自己容認、自己信頼、自己肯定力を育てるという言い方もできるかもしれません。
他人の価値基準に過剰に振り回されず何の条件も根拠もなしにただ自分を認められる心を育てるために、そもそもの大前提として自分の価値を何かの条件と紐づけてしまっている背景を内観してみましょう。
自己承認力の土台となるもの
大まかな傾向としては、子どもの頃に、他者承認欲が満たされないと大人になってからも他人の目や評価に振り回されやすいと言われています(あくまでも傾向として、です)。その部分を少し紐解いてみましょう。

マズローの欲求5段階の図
図と照らし合わせていきましょう。
私達の欲求には段階があると言われています。このピラミッド図の下から生理的欲求→安全の欲求という順になっていますが、このふたつは物理的な欲求と言われていて肉体的な安全の確保・生命維持に関する欲求をさしているように見えます。
【承認欲求】は上から二段目の場所にあり、ここは精神的欲求と言われています。つまり、精神的な欲求を満たすためには「安全の確保」だ必要なのです。肉体的な安全は感情と深く結びついています。
内観サポートをしていると、子どもの頃の恐怖体験や、大人になる過程で記憶した刺激、緊張、衝撃なども、心と体のあらゆる面に影響を及ぼし、心身バランスに影響及ぼしているのを実感します。しかし、ネガティブな感情の扱い方は学ぶ機会がほぼなく、扱うどころか「気持ちを切り替えて前向きに考えましょう」と教わってしまったがために、安心感や安全感が薄いまま大人になった人も多いです。これを書いている私自身がその一人として心を育てながら今に至ります。
厄介なのは、こうした心の土台を育てる必要性を軽視して願望実現だけを目指すこと。表面的にはモチベーションがあがっても、心の奥が不安定なことは自分が必ず気づいています。
大切なことは、心の動きに正直であること。欠乏を満たすために願いを叶えようとするのではなく、欠乏に気づき、寄り添い、安心を育てながら、喜びと豊かさを広げていくことではないでしょうか。
自己承認力をつけるには
自分で自分を認められるには安心感が必要で、「安心できなくさせているもの」を理解すればするほど自然体な安心感が湧くようになります。
人の目が気になって仕方がない場合は、その背景にどんな不安や恐れを持っているのか内観してみてください。私自身の例でいくと、他人を不快にさせる不安や、共感されない寂しさを強く恐れていました。意欲的にやりたいことほど、人に知られるのが怖く、やがてイジケや反発心に変化してゆきました。自分では心が傷ついている自覚もない程あたりまえのように、孤独を埋めるための評価を欲しがっていたし、自分が必要とされる人間だと証明したかった。怖くて苦しくて、安心させてもらえる状況を渇望していたのです。自分を苦しめている心理背景を内観すると安心を得ながら消化していくことが出来ます。消化するたびに、不思議なほど自己信頼も自然と育ちます。
承認要求、あってもいいじゃん
ここまで書いておいて、身もふたもないですが、承認欲求、あってもいいじゃん?だって人間だもん。と思う私です。
私たちは人との温かい関わり合いを本能的に求めるよう進化してきた動物です。自分で自分を認めることが出来るようになったからと言って、他人から雑に扱われるときにはストレスに感じ、自分を大切にしてほしい欲求がわくようプログラムされています。
しかし、心の本音を押し込めたり、遠慮出来ることが偉い、というような価値設定を持っていると、他人に向けて発動する欲求自体を否定する思考になります。どう思ってもどう感じても、反応は悪者ではありません。ネガティブな気持ちだとしても、そう思っていいんです。自分の感覚を責めずに理解しほどいて、自己承認力を育みましょう。