形となって見えているものの背景に膨大な情報がつまってる。
赤ちゃんが誕生する前にも母親のお腹のなかで誕生してから育ってきた期間があり
コンビニで買ったお握りが店頭に並ぶ前にアイディア誕生から店頭に届くまでのプロセスがある。
「見えてない過程」や「形となる以前のもの」がきりがない程膨大にあるってことを知っているからこそ
そこに想いを寄せて感謝したり、気づいてありがたかったり、私たち人間はそういうことが出来る生き物だよね。
小さなものにも、大きなものにも
ポジティブなものにも、ネガティブなものにも
事実であっても、空想であっても
その全てに、生まれた背景がある。
内観は、「生まれた結果」をきっかけに「生み出した温もり」に気づく。気づきたい。そんな心の姿勢だと思うんです。
心の奥で自分と手を繋ぐことは「感謝」「祈り」みたいな温かさというか···尊さを感じる。
何かを想って痛んだ心。何かを祈って選んだ沈黙。
痛みや思い込みは手放すけど、温もりは、愛を感じます。
感謝しなければならないわけじゃない。できないもんは、できない。
祈りらなければならないわけじゃない。わかないもんは、わかない。
形もゴールも正解もない。
ただただ、そこにある温度に寄り添うと「気づき」の輪郭が残る。
たまに、なんでそんなに内観が楽しいの?と不思議がられるのだけど
私にとっては内観てそんな感じの温かい生き方って感じ。内観という行為を越えて、自分を生きることそのものって感じがしてます。