この記事は私が内観をはじめた頃、「ありのままでいいって、こういうことかぁ」と実感できたの思い出をシェアしています。
「辛い状態に戻る不安」に襲われた日
私は随分若い頃、仕事ができなくなり引きこもって毎日寝て過ごした時期があります。
その後元気になって仕事もプライベートも充実したにも関わらず、何年も経過してから、またあの頃に戻ってしまいそうなしんどさが出て、焦った日のおはなしです。
経験したことがある人はわかると思うのですが、この類いのしんどさって「重さ」がただの疲れとちがうんですよね。やばい。アレがきたかも。みたいな不安はとても怖いものです。とてもじゃないけど、その辛さに対して「ありのままでいい」だ何で言えるはずもない。
当時の私は「 “また” しんどくなる自分=自分を良い状態に保てない=とにかくシンドイ」という体験記憶が染みついているので
- なんで私ってこうなの
- ほんと情けない、腹立つ···
- こんなはずじゃなかったのに···悲しい・・・不安・・・
といった具合に、辛さに焦りが重なって
- どうすれば元気な自分でいられるの?
- どうすれば戻らずに元気をキープ出来るの?
- 鬱色の雲に襲われる前に雲を防げる私にならなきゃ······
と、不安と怖さをどうすればいいかわからなくなりました。ところが、「自分で内観する」という若い頃にはなかった概念を持ち合わせていたので、こんな切羽詰まった状態にありながらも
「突破口があるはず。癒しの感覚に自分を導きたい。この状態の私を理解して気づきに導きたい。」そんな内観意欲も強くあり、感情に飲み込まれ続けずにいられました。
辛さと冷静さを同時進行で感じながら、お風呂に入ったら、なんだかハッとして
「私は今、あの鬱っぽい雲を払い除けれる自分になろうとしてた。大丈夫の感覚を必死で探すみたいにチューニングして、出来なくて焦ってた。でも、チューニングなんてやりようがないわ。だって
▪引きこもった当時の私
▪元気になった現在の私
▪辛さを恐れ焦る今の私
全部、選んでそうなったわけじゃない。辛くなりたくて辛くなったわけじゃないし、元気にフィッティングして元気になれたわけじゃない。今感じてるこの焦りだって、ただ焦っただけ。焦ろうとしてやってるわけじゃない。いつもただ “この私” がそうなっただけなんだもん・・・。」
すごく当たり前のことですよね。もちろん、そんなことは自分でもわかっているんです。でも、わかっているようでいて分かってなかったと気づく。「気づき」が自分の内側からわいたんです。
敢えて意識の動きを表現するとしたら
自分をコントロールできない不安にかられていた意識状態➡コントロール不可の恐怖を俯瞰した状態➡コントロールできない辛さを理解した➡コントロールできない自分を許した(許しがわいた)
このプロセスがスルっと腑に落ちた瞬間に一気に視界がクリアになって、あるがままの今の自分を受け入れふぅ~っと楽になりました。
- 辛かった当時の私
- 元気になった現在の私
- 辛さを恐れ焦る今の私
全ての自分に対して、心底「そうだよねぇーーーー」と共感し、味方し、受け入れて大丈夫だと安心できる体感を得られたことは自分にとってすごく自信になったのを覚えています。
ここで超重要なことは「言い聞かせたのではなく、気づいた」ということ。
消し去りたい気持ちを消し去れないまま「またあのときと同じようになるとは限らないよね」と渋々言い聞かせた訳じゃなくて
むしろ、全てその状態のまま受容する意識になって自分で救い出してあげられたことが心の中の安心感を増やしてくれました。
※変化のプロセスは人によって大きく違います。他人の元気になった例を見て気持ちが沈む時は「今の自分には参考にならない例」です。堂々とスルーでOK。フィット感を大切に🍀